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【体験談】切迫流産・早産の兆候・経過・出産までの記録~第一子第二子まとめて紹介~

私は1人目も2人目も切迫流産・早産と診断され、自宅安静や入院をしていました。

私が安静生活を送っているとき、毎日の日課のようにしていたのが、自分と同じ週数・同じ子宮頚管の長さだった人が、今後どのような経過をたどっていたか、ネットで検索することでした。

ネットで検索して、それを知ることで、何も自分の子宮頚管の長さには変わりはないのだけど、検索せざるを得ないくらい、不安でたまらない毎日でした。

人によって状況は違うし、気休めにしかならないというのはもちろん分かっています。

それでも今、不安で検索し、こうしてこのページにたどり着いたあなたのために(”昔の自分”のために)、私は自分自身の妊娠(切迫早産の経過)・出産の記録を記します。

★この記事はこんな人向け★

  • 切迫流産・早産の兆候について知りたい人
  • 現在切迫流産・早産と診断されて、他の人がどのような経過をたどったか知りたい人
  • 1人目切迫早産となったが、2人目もそうなるのか?と心配な人
目次

第一子&第二子時の切迫早産の経過まとめ

詳細を述べる前に、ざっとまとめるとこんな感じでした。

第一子 ~18週で切迫流産、30週で入院~

妊娠初期 ~至って順調な日々~

特に出血などもなく、問題もない妊婦でした。

つわりも人並みにはありましたが、体重が減るほどでもなく、妊娠初期を過ごしていました。

仕事はフルタイムでしていて、残業も1日2~3時間はしていました。

妊娠中期 ~今思えば兆候はあった。18週で安静生活へ~

切迫流産の兆候

相変わらず仕事をし、出張などもこなす中で、太ももの付け根~下腹のあたりがツーーーンとなることが何度もありました。

ツーーーンとなって痛いので、歩けない感じ。そして、少し息苦しくなる。

でも、1人目の妊娠なので、妊娠とはこんなもんだと思っていました。

子供が大きくなっている証拠かな?なんて思い、特に病院には行きませんでした。

このとき違和感を感じていた時点で病院に行っておけばよかった、と何度も後悔したよ。

18週の検診で子宮頚管2.5cm、自宅安静へ

18週の検診、特に何も気構えず病院に行ったのですが、思わぬ言葉が先生の口から出る。

「子宮頚管が2.5cmで、切迫流産(※)です。自宅安静をしてください。」

(※)22週までに子宮頚管が短くなることが切迫流産、22週以降は切迫早産

思わず聞き返す。

「自宅安静とは?」

「食事・トイレ以外は、基本的に横になって静養することです。」

ええー!!仕事は?引き継ぎ書もまだだし、何なら明日大きめの会議があるんですけど・・・

とりあえず上司に相談して、翌日から3ヶ月ほど早くお休みに入ることになりました。

(職場の人には本当に迷惑をかけて、申し訳なかった。しばらく毎日のように「ここどうするの?」など業務の電話が入る。)

妊娠後期 ~30週で入院、そして点滴の日々~

安静生活の甲斐あり、悪化はせず

自宅安静生活を始めて、自分のお腹がきゅーーとなるのは「お腹の張り」なのだということを知る。

そして、こんなにもお腹が張っていたのかと気付く。

でも、ウテメリンを服用し、子宮頚管に負担をかけない体勢を常に意識し、お風呂も2日1度にし、安静生活を行うことで、すぐには頸管の長さは短くなりませんでした。

30週で出血、入院

自宅安静生活を始めて2ヶ月半。今でも忘れない30週のある日、トイレに行くと出血していた。

ただ、鮮血ではなかったから緊急事態ではないとは思いながらも、病院に電話。

「すぐに来てください」

病院に行き、診察してもらう。子宮頚管1.8cm。即入院でした。

夫に荷物を持ってきてもらい、地獄の入院生活、点滴の日々が始まりました。

点滴の甲斐あり、何とか持ちこたえる

毎日ウテメリンの点滴。これが本当にしんどい。

動悸が激しくなるし、足のむくみも激しいし、何より点滴が痛い。

何度もさしかえて、もうさす血管がないくらいになり、手の甲の血管を使ったりもした。

でも、その甲斐あり、子宮頚管は何とかキープ。

35週で0.7cmにはなっていたけど、それでも何とか持ちこたえました。

出産 ~36週で予定帝王切開~

結局、何とか臨月まで持たすことができ、36週で予定帝王切開をすることができました。

(区分としては、正産期ではないので”早産”になります。)

2300g弱と、小さめで最初はNICUに入りましたが、2週間ほどで退院できました。

第二子

妊娠初期 ~至って順調な日々~

第一子同様、妊娠初期はつわりはあるものの、特に出血はなく、順調な日々でした。

第一子のときに切迫早産になったので、第二子妊娠中は初期から無理をしないよう気を付け、仕事もセーブしていました。

(元々時短だったが、上司に事情を説明・相談し、第一子のときのように急に休職に入ることもありえるので業務を軽めにしてもらった)

妊娠中期 ~22週で子宮頚管が短くなり始め、安静生活へ~

切迫早産の兆候

1人目のときは「お腹が張る」というのがどんなことなのか分からず放置してしまっていましたが、2人目なのでどんなものか分かっています。

子宮頚管が短くなり始める前、18週くらいから、お腹が張る回数が増えました。

「ああ、こんなにも注意していたのに、また切迫になるのか・・・」正直そう思いました。

22週で安静指示

お腹が張ることが増えたなと思っていた頃、22週の検診で子宮頚管が短くなり始めていることを指摘される。

まだ、3.2cmあったので、診断としては「切迫早産」にはならないのですが、病院の先生も嫌な予感がしたのか、

仕事はすぐにでも休んだ方が良いです。診断書は書きます。」とのこと。

そして、翌日は残務処理・引継ぎ処理のため仕事に出たものの、翌々日からまたしても急なお休みをいただくことになりました。

上の子の保育園のお迎えのみの外出

日中は家でずっと横になっていました。

保育園の送りは夫、迎えは私が行くしかなかったので、迎えにいくときだけ外には出ていました。

でもこの早めの安静生活の甲斐あって、子宮頚管はキープしていました。

妊娠後期 ~28週で2.8cmになり服用開始~

後期に入り、ついに3cmを切る。28週で子宮頚管2.8cm。

ただ、第一子のときは18週の時点でもっと短かったので、心なしか少し余裕な気持ちはありました。

リトドリンを服用し始め、また動悸の日々が始まります。

34週2.4cm、35週1.7cmと短くはなりますが、何とか今回は正産期を迎えることができました。

出産 ~37週で予定帝王切開~

何とか予定帝王切開日まで持つことができ、2800g弱の第二子を出産。

今回はNICUに入ることなく、母子同室で過ごすことができました。

まとめ

冒頭にも書きましたが、私は安静生活をしているときに、多くの妊娠記録を読みました。

ただ、切迫早産の妊娠記録の特徴として、途中で終わっていたり、出産後のことが書かれていなかったりするものが多くありました。

私は一読者として、「その後、お子さんを元気に出産したのかな?」「元気に育ってるのかな?」と思ったりしていたので、今回は妊娠・出産記録をまとめて書きました。

そして、妊娠中にウテメリンやリトドリンを服用・点滴しまくっていましたが、今二人とも特に病気することもなく、元気に育っています。

切迫早産の安静生活や服用が、胎児への影響はない!と私だけの経験で断言はできないけど、少なくとも我が家は影響はなかったよ。

切迫早産で安静にされているあなたは、きっと、明日明後日の自分がどうなっているかも分からず不安な気持ちで過ごされていると思います。

でも、きっと大丈夫。もし何かあっても現代の医療はすごいから、何とかなる。

そう信じて、あなたが少しでもストレスを感じず、前向きに今を過ごせることを私は切に願っています。

そして、切迫早産を経験した仲間として、あなたのお腹の中に赤ちゃんが少しでも長い時間いて、元気に産まれてくることを祈ってます。

以上、どなたかの参考になれば嬉しいです。

▼【切迫早産でつらくてたまらないあなたへ】心を少しでもラクにするために私がしていたこと の記事はこちら

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この記事を書いた人

●オーストラリアにて2人の幼児を育児中(駐在)
●子供の「好き」を基軸にしたゆるい知育を取り組み中
●子供は本好きで、家には1000冊近い絵本あり
●知育玩具も大好き
●50冊近くの育児書を読み、良いと思ったことは進んで実践中

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